シアターピエロ

How are you getting along these days, baby?

We Need to Talk About Kevin

少年は残酷な弓を射る」を読んだのです
あまのさんがだいぶ前に読んでいた本ですね
殺人犯となった息子と、その母親の物語です



カテゴリは天野になってるけど(あまのさんがきっかけで読んだ本だから 大切なことですね)
あまのさんの話はまったく出てこないだ 笑

続きは読んだ人にしか理解できないネタバレと感想
私の壊滅的な文章と支離滅裂な思考でもって読んだ人でも理解できない可能性が高い
頭がポーンだ ポーン

上下巻、合計約650ページ、読み終えるまでにかかった期間 7日




「子供ができたらわたしの人生はおしまいだ。」

偏見だけど、そう思っている女性は少なくないはず
この物語の主人公(エヴァ)はまさにそういうタイプの女性だった

旅のガイドブック制作に携わるエヴァはバリバリのキャリアウーマンで、
自由と、夫(フランクリン)と過ごすふたりきりの時間が好き
フランクリンのことを誰よりも何よりも愛し、彼さえいてくれれば他に望む愛などない
だから子供を育てる必要も、暇もない 大体、子供がかわいいと思ったことがないですし、という

これ以外にも子供がいらない理由はたくさんあるらしく(箇条書きにするほどある どれも自己中 笑)
子供を作ろうと思った理由も自己中全開で、序盤はあきれっぱなしだった
(ただ、言いたいことはとてもわかる 私も自己中だから)

きっかけは単純だ
予定の時刻になっても帰宅しない夫を自宅で待ち続けるうちに、
もし、彼がいなくなったら、もし、この先ひとりきりになってしまったら?
これまでに味わったことのないような不安に駆られたエヴァは、子供を作ろうと決意する

「愛する夫のコピーをとっておきたい」「人生において、新しいページを開く」
子供が”わたしの人生”に新しい刺激を与え、”わたしの人生”をよりいっそう華やかなものにする
実に自分本位の考え方

子供がほしいもうひとつの理由、
「人生の意味を見いだせずにいる夫に、人生の意味を与えてあげたい」
これに関しては、自分ではなく夫のため、ではあるけど、
結局のところ”わたしを誰よりも愛してくれる夫を救ってあげたい”なわけだから、
行きつく先は自己愛だよな、とひねくれ者の私は思う

それが悪いと言っているわけではないけど、ここで誰もが気付くはずだ
ああ、この夫婦は子供の人生は二の次で、自分たちのことしか考えていない、って


さっき書いた言葉には続きがあって(じゃないとすべての母親にお前は何様のつもりだ、○ね、って怒られる)

「子供ができたらわたしの人生はおしまいだ。
だけどここから、”わたしとあなた”の人生が始まる。」

そう考えるのが理想というか、当然じゃないか、ということなんだ

子供を産む行為自体、エゴだし(産んでくれと頼んで産まれてくる子はいない)
あなたのためを思って産みました、なんて人は稀だろう これはこれで恩着せがましいね
でも、産まれくる子供の人生を自分達が左右する、運命が委ねられていることだけは大いに自覚しなきゃならない
「まあどうにかなる」なんて適当な気持ちではなく、
それ相応の覚悟を持って、今まで手にしたものをなげうってもいい、
人生の主役を降りて、自分は共演者か、なんなら観客になってもいい、と思える人だけが子供を産むべきだと私は思っている

極論を言うならばね
子供のいない私が何を言っても説得力がないことは承知しておる 怒られる


エヴァは、夫に対する「与える気持ち」はあったけど、子供に対して「与える気持ち」は微塵もなかった
妊娠何週目に入っても、陣痛が始まっても、子供を愛せるかどうか、不安しかなかった
「産まれくる子供がわたしを愛してくれるなら、わたしも子供のことを愛せるはずだ!」
そんなことを考えていたんじゃないかなきっと
不安を期待で覆い隠すように子を産み落とし、抱きとめるも、愛している実感は得られなかった
あろうことか「裏切られた」とすら感じた
息子(ケヴィン)は母の失望を本能で感じとってしまった、この瞬間からすべては決定してしまったんだろうな


ケヴィンは賢い子供で、自分が母親に愛されていないことに最初から気付いていた
だけど、母親に愛されたい、ひとりじめしたい、という子供なら誰でも持つ本能は消し去ることができなかった

どうすればいいか?

素直に子供らしく振舞うだけでは母親の心はいつまでもここに無いままで、
抜け殻の母親と、ケヴィン自身ではなく”理想の息子”しか相手にできない父親だけが残る

両親に反抗すれば、母親はいつでも父親の背に隠れることになり、
絆を深めた夫婦と、居場所をなくした自分だけが残る

母親に媚び、父親に反抗すれば、夫を誰より愛する母親のことだ、夫をないがしろにされた怒りが先行し、
結局、自分は邪魔者扱いされる

ならばどうするか?どうすれば、母親はフィルターを介さず、自分だけを無条件に愛してくれるのか?

父親が求める”理想の息子”を演じ、母親の、形だけの愛を拒絶する
母親は父親に救いも理解も求めることができず、父親のように思考停止して息子を愛でることもできず、
嫌でも直に向き合わなければならなくなる


読んでいてずっと、それはもうずっと、なぜこんなにも母親を拒絶するのか、なぜ素直に振舞うことをしないのか、
ずっと疑問に思っていたけど、最終的には、とてつもないかまってちゃんなんだ、
ケヴィンはスーパーマザコンなんだ、という結論に至った

努力の末の形式的な「母親らしい母親」と「息子らしい息子」では心を通わせることはできないと、
互いに無意識のうちに思っていたのかもしれない
ずっと闘い続ける、そういう愛の形もあるんじゃないかって
わたしたちはそうするしかなかった、みたいなことをエヴァ本人も言っていた

罪のない人間を何人も殺したことは決して許されるべきではないし、
ケヴィンの判断は間違いだらけだったと思う
(ケヴィンの反抗によってエヴァは母性に目覚めたけど、その純粋な愛情は妹のシーリアに注がれることになってしまったのだから)

それでも、
母と息子、どちらが被害者で、どちらが加害者だとはっきり言い切ることはできない、
どこまでも中立の立場でしかいられない とても心が痛くなる小説だった

なぜ人を殺したのか、最後に母親に問われた時、ケヴィンは「わからない」と答えた
答えとしてはそれ以上のものはなく、理由を考え並べ立てるのは無粋なのかもしれないけど書き出してみる

両親が離婚を決意したことを知り、自分は必然的に父親にもらわれていくことになると考える
母親との別れを阻止するためには、すべて終わりにするしかない
父親を殺し、妹を殺してしまえば、ふたりきりの世界だ
というのがひとつ

世の中の人間のほとんどは観客で、与えられたものを消費する立場だ
かつて主役だった人々も、子供が生まれることで観客になる(子供のためを思って、だ)
だけどエヴァは子供が産まれてもなお主役の座を降りようとはしなかった
それが息子として誇らしくもあったし、憎くもあった 自分もエヴァの観客でしかないという事実を覆したかった
自分が世間の注目を集め、居場所をなくし、窮地に到らしめることで、想いが叶うと結論づけてしまった
これがもうひとつ

ケヴィンの優秀さをもってすればいい意味で世間の注目を集め、主役の座に上り詰めることもできたかもしれないのに
あえて逆の手段を選んだのは、それだけ自分の母親は自信に満ち溢れた人物だと思いこんでいたから、なのか
優秀な息子よりも自分の仕事と愛する夫が支えになるのだから、自分が努力しても意味のないことだ、みたいなね

難しい

もはや何を書いているかわからなくなってきた 終わる