シアターピエロ

How are you getting along these days, baby?

はぐれた先でも また会える魔法だ ずっと ずっと 着けてて

音倉レコード代表の戸倉弘智さんが1月6日に亡くなられたそうです。


夢だったらいいのにな。

何度も何度もこれは夢かもって考えたけど、どうやら現実なのでブログを書きます。

ひどいこと書いてるから読みたくない人は読まないでくださいね。


私は単なるいちファンなので、個人的な関わりや、あのときあんな話をしただとか、そういった思い出はほとんどありません。

ライブ終わりに面と向かって会話をしたのも数えるほど。それも挨拶程度のものです。

数年前までたまにコメントをもらっていた旧ブログも今月いっぱいで消えてしまいます。

どんなやりとりをしたっけと読んで振り返ることもないでしょう。


音楽以外で私の知る戸倉さんは、ツイッターで愚痴や弱音を溢したり、失言したり、ファンの神経を逆撫でするようなことを言ったり。笑

彼は経営者としては最悪でしたね。

音倉商店の対応の悪さはたびたび糾弾されていましたし。

倉子さんがひとりで通販対応がんばっているなんて知らない人の方が多いんだから、代表が謝って事をおさめろよって度々思っていました。

私はひとりで文句を垂れていただけの存在です。

相互フォローだったのでばっちり見られていたかもしれませんが。

嫌われていたかもしれないですね。


びっくりするほど薄い繋がり。


それでも身近な存在で、たくさんのことを知っていたような感覚があるのはなぜでしょう。

怖!ストーカーの思考回路だ!!!


天野月子を創り上げた人。

天野月を呼び戻した人。


戸倉さんがいなければ天野月はこの世に存在しませんでした。


名もなき時代に見つけてくれたから。

プロデュースしてくれたから。

編曲をしてくれたから。

いろんなステージで歌えるように準備してくれたから。

公私共にたくさんの言葉をくれたから。


書いてみても、そうなんだけど、そうじゃなくて…いや、そうなんだけど…


天野さんと共に人生を歩む存在でいてくれたから、というのが一番近い気がします。

私の妄想ですよ。勝手に言ってるだけですからねこれ。


巷のヒットソングにも当てはまることですが、

天野さんの歌詞は誰でもない誰かに向かうような、誰のものでもあるような…

聴く人によっては、これは私の歌だ。と思えるような共感を得る部分が多いですよね。

良い意味で曖昧。

たまに具体的。たまに変な言葉。(スイカの芯って何?)


私のように人生経験が乏しい人間は誰かの物語として聴いていることが多いです。

だからなのか、全部が全部そうってわけじゃありませんけどね、

これって戸倉さんへのメッセージも込められてるのかなって思うことが多いんですよね。

聴きながらふたりの歩んだ道を追体験している気分になるんです。たまに。


空想上の誰か。

今は近くにいない誰か。

近くにいても遠ざかる誰か。


誰に向けた言葉?


本当のところは作詞した天野さんにしかわかりません。

誰だっていいんです。

ただし静寂と空中散歩は麦の曲ですよ!!!

これだけは譲りません。

もし本人が違うと言ってもそうです。

あとロックンロール・スターも麦感あるな。(麦感とは?)


とはいえやっぱり誰だっていいんです。どっちだよ。


何年も何年も天野さんの曲を聞いていると、

私は天野さんのことが大好きなだけの人間なのに、どっちかというと嫌いなタイプの人なのに、戸倉さんまでも自分の大切な人かのように思えてくる。笑


事務所に人が入ってはすぐ辞めていく、

自分勝手で子供っぽい、

しかもスケべ、アーティストを売り出さなきゃいけないのに自分の存在感出し過ぎでは!?

変わる時代に追いつこうとしているのは見えるけど、なかなかうまくいってない。

ニコニコしてるけど影では絶対おっかない。締め付けが強すぎたり、やりすぎてること、間違ってること絶対あるんじゃないか。


それでも天野さんとの関わりに関してだけは、この人しかいないし、

良いところも悪いところも似ているんだろうな。つまりは共犯者だ。と思わせる何かがあったんですよね。

ずっと天野さんのことを特別に、一番に置いてくれるのは、理解してくれるのはこの人なんだろうという。


新生diorama-replicaのことは許せませんでした。

お前が許すも許さないもないだろって話ですがとにかく許せなかった。

新たにアーティストをプロデュースするのとは何か違うな?と思ったから。


自分の音楽をやりたい?いいんじゃないでしょうか。

ボーカルが必要?そうかもしれないですね。

ボーカルとなる人は…

あ〜なるほど。うーん。


人は自由です。一度しかない人生、やりたいことをやる。

他人がどう感じようが関係ない。ないんだけど、感情ってどうしようもない。

天野さんほど特別ではないけど、特例?みたいなものを作って欲しくなかった。

天野さんのようにすべての人生を捧げるつもりのない人と、たいそうな言葉を並べて組んでほしくなかった。

実際捧げるつもりだったかは知らないですよ。

私が違うと思っただけで。反論されたら返す言葉はないです。勝手な想像です。


嫉妬ですかね。誰の立場からの嫉妬なんでしょうね。怖すぎる自分が。

天野さんの近くに!ギギギ!という嫉妬じゃなく、戸倉さんの側にいる事に対しての嫉妬です。今思えば。

天野さんは え?いやわたしが一番なのは変わってないよ。って涼しい顔していたと思いますけど。

ファンって頭おかしい〜。

あと念のため書きますが私もデビューしたかったとか戸倉さんと親しくしたかったとかではないです。頼まれても嫌だな…。(頼まれねえよ)


あの時から戸倉さんのやることなす事気に入らなくなりました。斜に構えて見てました。

ガンガン陰口叩いてました。

結局のところ、好きだから固執していたのかもしれないですね。

音楽面では嫌いになりようがなかったし。

現にこうしてなんかやたら長いブログを書いている。天野さんのライブの感想(全盛期)より熱がこもっているのでは?笑


プロデュース業を引退すると宣言しても、編曲を謙太郎さん達にお任せするようになっても、

音楽をやめることはないし、ずっと天野さんのことを見ていてくれるんだと思ってました。

戸倉さんが関わらずともいい音楽はできる。

だけど見えないところで支えになって、支えられて、この先も歩いていくんだと思っていました。


こんなに早くいなくなってしまうなんて思わなかった。

体調が思わしくないことは度々呟いていたけどそれにしたっていくらなんでも。52歳って!私の親より若いわ!


私はただのファンだから音楽を聴いていた以外はなんの関わりもないのに。

ふとした瞬間、天野さんが、戸倉さんとの当たり前だった日常を思い出して、もういないのか。と実感してしまうことがひどく寂しいんです。

誰かが悲しい気持ちになることが悲しい、寂しいんだって、祖父が亡くなったときにも書きましたよね。書いたか?忘れた。

そういう性質がね、発揮されてしまっているみたいです。

妄想で寂しくなるなんてとんだオナニー野郎ですね。

天野さんの気持ちなんてわかりはしないのに。

現に悲しいとか寂しいではあらわせないって本人言ってるし。ブログで。

これだからストーカー気質は困る。思い込みが激しすぎる。


戸倉さんがどんな人かも、結局のところ全然知らないはずなのにね。寂しいよ。

しばらくジュビリーをまともに聴けないよ。


出会ってから10年。

短い間でしたが、たくさんの素晴らしい音楽と、たくさんの楽しい思い出をありがとうございました。

またいつかふたりの音楽を届けてください。

そのために天国でギターの腕を磨いておいてくださいね。


最後に陳腐なこと言っちゃった。

しかも全体的に偉そうだな。見なかったことにしてください。それではまた。


天野月/はだかの王様